第2話 ヒカゲノウタ 2
病院の廊下。
大地はずっと考えていた。
ただ考えていた。
後で分かったことだが、美咲がやっていたのは紛れもなく『オーバードーズ』と呼ばれるものだった。
つまりは薬物の過剰摂取であり、自殺の一つの方法を指す言葉。
幸いにも命には別状はなかった。
そして次第になにも出来ない自分に―――美咲に声をかけるのでもなく。
病院にいてもなにもできない自分に―――対して無力感やら情けなさ。
いろんなものが頭の中で渦巻いた。
心にワケの分からない穴が空いているような、そんなものを感じた。
そしてその穴は信じられないほどに風通しがよくて気持ち悪かった。
やがて大地が立ち上がり、そのまま病院を後にする。
重い何か。目を逸らそうと思っても逸らすことのできない重いもの。
それが心の中にぽっかりと空いた穴に居座ろうとしていた。
あれからずっと。
自分はなにをすればいいのか、そして自分は何ができるのか。
全く検討もつかないものをぐるぐるぐるぐると考えていた。
終わりのない問い。
終わりのない答え。
答えのない問い。
それは分かっているはずなのに何故か考えた。
「やっぱ分かんねえや……」
つぶやく。
大地が立っているのは美咲の病室の前。
一息つき、いつもの顔にした。
ドアを開け、美咲のベットのある奥の方へと入っていく。
窓辺のベット。そこが美咲のベットだった。
「美咲」
思わず大地が声を漏らす。
美咲は起き上がって窓をぼんやりと眺めていた。
思わず。何が映っているのか知りたかった。
何を見て、何を感じているのか。
知りたかった。
「大地」
ふと美咲が視線を戻した。
しかし、大地はなぜかその言葉に答えを返すことができなかった。
出て来そうで出て来ない言葉達。すべての言葉が胸の中で浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。
そしていつの間にか真っ白になる。
「分からないでしょ?」
「たくさん考えたんでしょ?…でも分からなかった……」
同時、いつも感じていた美咲と今自分の目の前にいる美咲が一つになったかのような。
そんなワケの分からない考えが浮かんだ。
「大地……」
「美咲っ……」
美咲が黙りこくっている大地に話かけた。
同時、美咲の言葉を無理矢理打ち消すような声で大地がしゃべりだす。
そこから一気に大地が美咲に話かけていく。それは学校での出来事であったり、昨日見たテレビの話だったり、友達と話したことだったり、ほんとにどうでもいいような、そんな他愛もない話だった。
そんな話を大地が一方的に話かけ、美咲はただ黙ってそれに相槌を打った。
それは二人にとっていつものことだった。
いつもと変わりのない、そんな時間だった。
「……でさ………」
ふと。大地の話している声が止まる。
「……もう、時間だな……」
腕時計を確認しながら大地がそう言う。
「帰るな……美咲」
立ち上がり、足早に立ち去ろうとする。
「……大地」
「明日、また来るから。じゃな」
後ろ姿にかけた言葉に対してそう答えながら振り向くことなく病室を出て行た。
今はただ。笑うことしかできなかった。
そんな自分が酷く幼稚で、寂しかった。
歯痒く、それでも何もできなかった。
空いてしまった穴は大きくて。
ただ。涙が流れた。
夏の始まりだった。
そしてそれはいつもと変わらない、むしろいつもよりも楽しい夏になるはずだった。
しかしいつの間にかその夏はカタチを変え、忘れることのできない、
忘れてはならない夏へとなっていっていた。
業務用のクーラーから無機質な風が吹き付けてくる。
大地は病院から程近く、そして家からはほど遠い本屋で雑誌を立ち読みしていた。
「オレは………なんなんだ……?」
ふとつぶやいてみる。
ただ、浮かんだ言葉。
とっくの昔に陽は暮れ、すっかり外は暗くなっている。
目から入ってくる文字がよく、分からなかった。
文字が読めなくなったように。
それでも必死にページをめくった。
耳からは耳に当てているヘッドホンからとめどなく旋律が流れ込んだ。
入ってくるお気に入りのはずの歌が雑音のように聞こえた。
いつもとは違う曲。
そして手に持っていた雑誌にはいつのまにか目から零れた涙が染みこんでいた。
「あ……」
それを見ると何かにせかされているかのように急いでその雑誌を置き場に置き本屋から出て行た。
風が大地に刺さった。
空き缶がカランコロンと小気味よい音を立てて大地の横を転がっていった。
街灯に吸い込まれるようにして虫たちが集まり街灯の影がどこまでも伸びているような、そんな錯覚さえ覚えた。
「なにができる…………」
誰に言うでもなく語りかけるような口調。
耳に当てたヘッドホンからは変わることなく当てもなく雑音が流れ込んでくる。
お気に入りだったはずの歌詞がバカらしく思えてくる。
ふと店のウインドウに自分の姿が映る。
お気に入りのラブソングを分かったように聴ききながら自分の彼女にはなにもできない自分。
そんな人間がそこには映し出されている。
そして、馬鹿みたいに涙を流している。
空はいつも青くて変わらない。
思わず何かを決めたように大きく息を吸い込んでいた。
「おはよ、美咲」
いつもと変わらない大地の声。
「おはよう、大地」
いつもと変わらない美咲の声。
「……」
「……」
二人の間に沈黙が流れた。
「…な、美咲。外、行こっか」
美咲はそれに笑ってうなずく。そして、美咲はふらっとしながら立ち上がり上着を着る。
「行こっか」
その声に大地がうなずき、ドアを開けて外へと出て行く。
よく晴れた、心地よい陽の光が2人を讃えた。
「…それでさ、そん時圭祐がさ…」
いつもと同じように大地がしゃべり、美咲が笑いながらそれに相槌を打った。
ふとしたはずみ、なぜか会話が止まった。
ただ、美咲を見つめるしかできず、止まった。
次の瞬間、美咲がふわりと笑うのが見えた。
思わず息を呑んだ。
そして。何かを恐れた。
「大地はさ、私とは違うよ、やっぱり」
「苦しい……。ほんとはね、大地……に分かって欲しかったんだ。……でもさ、無理だよね、そんなの。私とは違うんだからさ」
「……ごめんね。大地。最後まで大地を苦しめちゃって……」
太陽の陽が大地だけを覆い、美咲だけを木々の陰に閉じ込めてしまう。
そのせいで大地には美咲の顔が見ることができなかった。
「………別れよっか………」
静かに美咲は言った。
何回も予想し、想像していた美咲のその言葉が大地の内でリフレインする。
「……い………あ……・・」
言葉が詰まる。喉にひっかかってでてこない。
まるで言おうとしている言葉達が意志を持ち、そこに必死でとどまろうとしているようだった。
否定したい。
イヤだ。
いくらそう思っても出て来なかった。
そんな大地を見て美咲は笑った。
「もう、いいから。……本当に。」
その美咲の笑顔は見たこともないくらいにきれいで。
穢れなく、純粋だった。
そして瞬間、大地は崩れた。
家へ帰る。
自分の半分以上すっぽりとなくなったような、そんな感じ。
しかしそれでもそれに嫌悪とかいやな感じはしていない。
ひどく落ち込んでいるはずの自分ともう1人いる、そんな感じがした。
メールの受信を告げる音が鳴る。
何も考えるでもなく携帯をポケットから取り出しメールを見る。
「あ…」
思わず声を漏らしていた。
それは美咲からのメールだった。
そこには見たことも、見せることもなかった美咲の姿があった。
いつからかただ漠然と死にたいって思ってた。
そのせいでいつも誰かを傷つけてた。それなの
にいつも自分が傷ついたふりしてた。ごめんね。
こうなったのは大地のせいじゃないから。私の
せいだから。ごめんね。これからはもうちょっと
がんばってみるから。ごめんなさい。ありがとう。
ヒカゲノ唄 第2話-2<終>
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